大空ひろしのオリジナル小説

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小説 湯煙閑談 1

須(す)内(うち)守(まもる)は冬の温泉宿に遣って来た。子供達が予約を取ってくれた温泉宿。
 妻は足腰に持病があり、須内は長い間妻をサポートして来た。


 父親が長い間母を看ていたその労苦を労おうと、子供達がプレゼントしてくれたのだ。
 妻の体は思うようには動かせないくらい不自由だったので、温泉には須内一人で来た。


 夕食迄には十分な時間があった。須内は取り敢えず温泉に入る事にする。



 フロントで受付すると、
「お客様、浴場は混浴になります。雪深いこの時期は閑散期に当たるので、従業員が少なく、対応に不備があるかも知れません。どうぞご了解下さい」
須内は、
「予約してくれた子供達から、大凡の状況を聞いています。私一人なので必要とあらば、自分で動きますから」
「浴場の管理も大変なので、時間によって一カ所だけに絞らせて貰ってます。どうしてもお一人で入りたい場合は、家族風呂を使えます。今いらしてるお客さんは家族風呂は使わないので、何時でもどうぞ」


 ひなびた温泉宿。案内されたのはそんなに大きくは無い浴場。
 男女混浴と聞いて、少し気持ちが騒ぐ。とは言え、今日は平日。旅行好きの若い女性など期待できない。
 着脱室に入り見回すと、脱衣を入れる駕籠の一つに一枚の浴衣が綺麗にたたまれているだけ。


 とは言え、男か女か分からないが先客が居るようだ。
「どうせなら、男の方が良いな」
 女性が入っていたら余計な気遣いをしそうだ。折角温泉で骨休めしようと来たのだから心身ともゆっくりしたい。


 受付で聞いた話だと、泊まり客はお年寄りのグループが湯治で泊まっていて、そのほか、年配の母とその娘さんの数人だけと聞いている。
 どう考えても色っぽい感じはしない。


 浴室に入ると、木(き)造(づくり)の浴槽。その一番奥に老女と思われる人が温泉に浸かっていた。
 老女は須内を人目見て軽く会釈すると、又元の姿勢に戻した。
 老女の視線は既に須内から外れているが、彼は老女に視線を向けずに会釈する。


(面倒くさいな。もっと大勢が入浴していたらそんなに気にしないだろうけど、二人だけとなると・・・。出直すか)
 そう考えたが、季節は冬。温泉のお湯で浴室内は多少暖かいが、裸になったので体が冷えている。
 混浴だと言うし、何時入ろうが誰かしら入浴してるだろう。須内は腹を決め、浴槽に浸かる。


「お一人なの?」
(ほら来た。だから嫌なんだ。俺はコミュニケーションって奴、苦手だから)
 と思いつつ、
「はい。一人です。女房と来られれば良かったんだけど、持病で余り動けないんで」
「そう。それは残念ですね」


 須内は少しも残念に思っていない。付きっ切りで妻を看て来た。その妻を娘が看るからと、温泉旅を勧めてくれた。
 一人旅は少し寂しさもあるが、一方で身軽になるのがこんなにも清々しいのかとも感じている。
「湯治でいらしたんですか?」
 須内が訪ねる。
「湯治客は別の人たち。私は娘と一緒よ」
 終始落ち着いた口調の老女。その様子に須内の気持ちが落ち着く。


「もう湯治客の皆さんとは会ってるんですか」
「あの人達、毎年今頃来るんですって。私たちもここ何年かご一緒させて貰っているのよ」
「そうなんですか」
「あなた、よく宿泊出来たわね。この宿は雪深い今頃、休むのよ。この機会を利用して従業員達に長期休暇を与えているからね。今いるのは女将と板さんと番頭さんの3人だけ。だから、宿泊客は取らない筈なのに」


 痩せ身の顔のしわが目立つ老女。彼女の説明通りなら、何故自分の宿泊を受け入れてくれたのかは謎である。
 若しかしたら予約を取ってくれた子供達が、自分たち夫婦の状況を説明して頼み込んだのか?


【久しぶりにちょっとした短編小説を】