大空ひろしのオリジナル小説

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湯煙閑談 4

 露天風呂には、食事時に紹介された老夫婦と、席で相対だった春男が肩まで湯に浸かっていた。
「おー、やっと現れたな」
 春男が言う。さすが口が良く動く。
 軽く会釈すると、須内は少し離れたところに体を沈めた。


 周りを見渡すと黄色っぽい昔の白熱球のような色の薄明かりの中、浴槽の両端に木造の高い塀が立っている。
 クリアー版を背中に置いて座ると、目の前は真っ暗。
「この先にはどんな景色が広がっているんですか?」
 須内は誰とも無しに質問する。春男から余計な質問が来ないように先制したのだ。


「下に細い川が流れていて、その向こうは急な斜面の山だ。向こうから露天風呂を覗こうとしたって無理だぞ」
 無論、須山は覗きなんて考えてもいない。


「でもな、一度だけ若いもんが一人、あの山の斜面から覗きをしたことがあるらし。そいつは双眼鏡で覗いてたそうだ。双眼鏡のガラスの反射光で気がつき見つけたんだけど、その後どこかに逃げられたとよ」
「太陽光が反射したなら昼間でしょ。昼間っから温泉に入る人って居ないでしょ?」
「そりゃ、今は殆ど居ないよ。でも気候が良くなると、この旅館も結構観光客が来るんだって。それにここは、泊まらなくても銭湯みたいにお金を払えば、殆ど何時でも入らしてくれるからな」


 一時期に比べ客足はかなり減ったが、この様な萎びた温泉宿の人気は未だ未だあるそうだ。
 シーズン最中となれば、観光客で部屋が一杯になることもそれなりにあるという。


「どんな姿をした山なのか見えないが、物好きは居るんだね。若いから仕方ないか」
「兄さんはアレ、興味がもう無くなっちまったのかい? 俺たちよりは若いのに」
「少しは残ってますよ。でも、素人には山は大変だし危険でしょ。無理して覗きに行く元気なんて無いですよ」
「そうだよな。冬は葉っぱを落としているから見通しは良いが、春から秋にかけては葉が生い茂るから、枝先にでも登らないとよく見えないだろうな」


 すると、夫婦並んで入っている妻・敏江が、
「私の知り合いが新緑の初夏に此処に来たのよ。それで、昼間に山菜採りをしたいと旅館の人に言ったら、多くの山は藪笹が茂っていて足下が悪い。それに、ヤマカガシやマムシもいるから勝手に山に入らない方が良いと言われたそうよ」
 やはり、山の怖さを知らないと危険な目に会いそうだ。


「そうそう、この辺の山には鹿が出るんだって。兄さんは明日には帰っちゃうのかい?」
 春男が聞いたところで何になるのかと思いながらも、
「明後日帰ろうかと」
 須内は答えた。


「そりゃ、良かった。明日の夕飯は鹿肉の料理を出してくれるんだよ。食べられるじゃ無いか」
「番頭さんか板前さんが鹿狩りしてくるんですか?」
 須内は何を思ったか、マジに聞く。


「そうよ。こんなにでっかい鹿を引き摺ってくるんだって」
 敏江が、胸を半分湯から出しながら大きく両手を広げて言う。
「そりゃー凄い」
 須山が感心すると、3人は大笑いし出した。


 すかさず春男が、
「そんなわけ無かろうが。冷凍肉だよ。業者が料理用に配達してくるんだよ」
 完全に馬鹿にされた須内。だが、怒る気持ちは微塵も起きない。


 笑いが収まると、夫婦は露天風呂を出て行く。どうしても目が行く俊子の後ろ姿。何も付けてないから体の素の形が分かる。
「家(うち)の女房の方がマシだな」
 思わず自分の中で呟く。


 敏江の体は、一言で言えば肩から太もも辺りまで寸胴。しかも深い溝がハッキリ見える皺。太っている分だけより目立つ。それが1カ所が2カ所では無かった。
(しょうがないよな。女房より一回り上なんだから)


 抑も、須内の老女に対する評価は実に失礼。品評させたくて裸を見せたのでは無い。蔑むくらいなら、その前に見るなよとなる。


 入れ替わるように、室内風呂にいた先ほどの老女二人が露天風呂に来た。
 無論、隠すべき所は上手に隠して湯に入ったが、その他は何憚ること無く堂々としていたので、体付きや胸の形は津山の目にも入った。


 須内は横目でチラチラ見る。
(見事にぺったんこに下がっているな。もう一人は、一応膨らみは残っているけど、上の方が伸びきっている)
 止せば良いのに、女性の胸の辺りを見ては再び自分の女房のものと比較する。
(やはり、一回りも歳が違うと案外形が違っちゃうんだな」


 須山の妻は少し大柄で、やはり寸胴タイプになっていた。全体的に肌の張りが未だ増しだと彼は一人納得してしまう。


 春男がゆっくりと須内に近づいて来た。
「兄さん、結構元気じゃ無い」
 何のことかと訝る。
「あんな、皺だらけの体でも元気になるんかい?」


 春男は口喧しいだけで無く、かなり目敏とくもあった。春男は須内の目線を追っていたようだ。
「いや、ただ、ちょっと女房の事を思い出して。ほら、年齢的にも近寄っているでしょ。家の女房と」
「兄さんの奥さん、幾つだね?」
「自分より一つ上です」


 実際は3歳年下である。老女達と年齢が近いと言った手前、つい嘘の数字が出てしまった。
「『金の草鞋』なのか」
 春男の声に、二人の女性は耳を傾けて来た。