大空ひろしのオリジナル小説

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湯煙閑談 5

「あんたん所、姉さん女房なのかい?」
「金の草鞋の価値あったんか?」
 今更違うとは言えない須内。


「とんでも無い。皆さんの所と変わりませんよ」
 憮然として答える須内。そう言葉を返して、直ぐにしまったと思う。
(ここは愛想良く答えた方が良かったな)
 とは言え、百戦錬磨の海千山千。老人達は笑いながら、


「あんた、尻に敷かれとったんだろ」
「違います! 誰があんなでっかいケツに」
 言葉使いが悪くなったのは、男としての自分を大きく見せたいと言う気持ち。そして、介護に疲れた自分がそう言わせる。


「あら、年を取ればね、肉がみんな重力に従って下に行くのよ。腰の辺りで止まるから自然とお尻やお腹が太くなるの。あんたの奥さんだってそうでしょ?」
「そうよ。散々女の尻にかぶりついてきたんでしょ。悪口言ったら罰が当たるよ」
 罰という言葉まで飛び出して来た。やはり口では女性陣に負ける須内。


「でもあんたは偉いわ。女房の介護してるんだから。何時から?」
「5年ぐらい前から。会社を早めに退職して。介護と言うより生活や家事のサポートだけど」
「そうなんだよ。今の若い奴らや子供らは、面倒見るのが嫌だから国に丸投げしたいと思ってる。結局は年寄り夫婦でお互いの面倒看なければならなくなる」


「所であんた、浮気はしてるの?」
 いきなりの話飛びだ。


「出来るわけ無いでしょ。目を離すわけにはいかないんだから」
「そんなに重いの? 足腰の病気」
「杖突いたり支え木に捕まれば動けるけど、倒れて怪我したら大事になるので。未だ両手はしっかりしてるから良いんだけど」
「じゃあ、力が必要な仕事はあんたがしてるのね」


「トイレは一人で行けるのかい?」
「トイレは大丈夫」
「お風呂は?」
「浴室って狭いでしょ。それに滑り易い。倒れたら壁やエプロンのヘリとか危ないし、出っ張ってる水栓器具なんか特に。頭打ったり骨折ったりしたらどうにもならなくなるし」


 一々危険な箇所を説明する必要はなかったが、男とすれば、事情があれ妻と一緒に入浴してるというのが照れ臭い。
 須内は昭和の男だった。


「偉いわー。背中なんかも洗って遣ってんの?」
「まあ」
「仲良くて良いわね。私の連れ合いなんか先にサッサと逝っちゃったもん。二度と一緒にお風呂なんて入れないわ」


「若しかして旦那さん亡くなられたとか?」
「ウチらだけじゃ無い。最初は五組の夫婦で湯治を始めたんだけど、今、夫婦で残っているのは敏江さん夫婦だけ。後はどっちかが死んでる」


 二人の話に、須内は素早く計算する。
「夫婦を除くと、あと三組では無いですか?」


「ああ、もう一組ね。旦那が大酒飲みで、ある晩酔っ払って帰って来て、一人で風呂に入ったのよ。そのまま溺れ死んだらしいの」
「そうそう。酒を飲まなけりゃ良い人だったんだけどね。桂ちゃん、住み続けるのは気持ち悪いって、家を売って娘夫婦の所に引っ越しちゃった。それから縁が無くて」


「では、あの春男さんの奥さんも?」
「由美ちゃんね。あの人膵臓癌だったの。前から腰が痛い痛いって言ってたんだけど。それで、針灸師なんかに通ったけど、結局膵臓癌と分かった時には手遅れでね」


「でも、春男さんは明るい方だから立ち直りも早かったでしょうね」
「持って生まれた性格だから口は達者だけど、偶に凄く寂しそうな顔をしてるよ」
「男は、女房に先立たれるとシュンとしちゃうから」


「その点女性方は元気いっぱいですね」
 須内は余計なことを言う。
 二人の老女はそんあ須内の言葉に応えず遠くを眺める。


 須内は我が妻を思い浮かべる。欠かさずサポートを続けて来た積もりだ。正直そのストレスもある。
 彼は、自分ら夫婦はあと10年持つのだろうかと考えてしまう。


 須内は露天風呂を引き上げて室内風呂に移る。先ほどの夫婦も春男も既に居なかった。
 暫くして、スナックを経営するママさんが現れた。
「あらお兄さん、また会ったわね」
 須山は横行に会釈をする。


 客商売だけにそつの無い動きをして彼女が湯船に浸かる。
「やはり入れ立ては何となく気持ち良いわね」
「入れたってって言いますと?」


「今日、お湯の入れ替えしたんですって。だから貴方も、この旅館に来た時二階の湯室に案内されたんでしょ?」
 湯治客の男手と旅館の男手で、今朝から大掛かりな掃除をしたと彼も聞いている。


「若しかして、自分たちが掃除したから、我々に最初に入らせたくなかったんですかね?」
「どうして?」
「だって、私たち2人は此処に入らせて貰えず、2階に回されたじゃ無いですか」


「それね。さっきカラオケ室で聞いたけど、ほら、一般家庭と違って湯船が大きいでしょ。溜めるのに時間が掛かるのよ。それに、掃除が終わったのが昼過ぎ。掃除で薬品も使ったみたいで、その臭いとか取るために暫く置いて、その後に溜め始めたから食事前には間に合わなかったんですって」
「そうだったんですか」
 やはり、何も知らないと余計な不満を抱いてしまう。


「所で、娘さんは?」
「あら、貴方も娘の裸を見たいの」
「止して下さいよ。そんな積もりで言ったんじゃ無いですから」
「いいのよ。私、水商売長いのよ。殿方のそんな好きな所、分かっているわよ」
 さすがベテランママさん。須内のスケベ心など簡単に見抜いている。