大空ひろしのオリジナル小説

オリジナル小説や音楽を

湯煙閑談 7

 とにかく、全ては感染症の広がりだった。


 スナック経営の母娘は、未だ感染症など知られていない時に某温泉旅館に予約を取った。
 一気に感染症の危険度が増した事で、予約した旅館から、準備が間に合わないとキャンセル依頼が来た。


 ママは、
「あら、そうなのー? 折角楽しみにしていたのに」
 嫌みタップリ思わせたっぷりに電話口で言う。


 すると、もしどうしてもと言うなら、少し奥地になるがそこで良いなら別の旅館を紹介すると言った。
 ママは嫌みの積もりだったが、受け入れてくれる旅館があると言われ、今度は断るわけに行かなくなった。
 そして紹介されたのがこの旅館。


「予約先旅館では、うるさい客、嫌な客だなと思ったんでしょね。そういう客の為にここの旅館と事前に交渉してあったんでしょ。ウチの母、ひねくれてる所があるから、言葉付きで分かるんでしょうね」
 茉莉が素知らぬ顔で言う。


 後に分かったのだが、冬場だし客足が止まる時期。この旅館も、見通しが付くまで様子を見ようとしていた。
 来館客と言えば、毎年訪れる数組の湯治客がいるだけ。しかも、その湯治客の殆どがキャンセルした。


 なので、旅館の設備を稼働させたり従業員に出勤して貰うよりは、一層のこと休館した方が良いと女将は思う。
 所が、毎年同じ時期に訪れている湯治客の一組が、唯一の楽しみだから宿泊させて欲しいと強く願った。
 更に、従業員を減らしても良い、その分自分たちが動くからとか、風呂も一カ所でも良いからと申し出て来た。
 そこまで言うならと、彼ら湯治客を受け入れたのである。


 この湯治客達も、一番最初に来た時は五組の夫婦だったが、時が経つに従い人数が減って、今では合計5人。
 その様な状況だったので、母娘の二人なら追加しても旅館側の対応が出来ると急遽引き受けたのだという。


 そんなわけで、母娘が来館した時には既に風呂は一カ所、しかも混浴となっていた。
 混浴が嫌なら家族風呂に入って貰うという段取りだった。


「それで、茉莉さんは家族風呂に?」
「家族風呂と看板掲げてるけど、あれは貸し切り風呂、個室風呂よね。結構狭いのよ。夫婦2人ぐらいなら何とか入れるけど、ちょっと大きな子供がいたら、入りたくないよ」
 そう言うと、茉莉は意識的にニコリとした。


「男女2人が一緒に入るには良いわよ。鍵は掛かるし、狭いけど脱衣所が緩衝となって声が外に漏れないし」
「浮気とか不倫だったら最適とか?」
「そう。店のお客さんの中にも温泉行こうよと誘ってくる人結構居たわ。旅館に行って男女別々に入るなんて味気ないでしょ?」
「確かにね。そりゃ、温泉旅行だから、温泉に浸かるのも目的の一つだろうが、男としたら、やっと連れ出せた女性と一緒に入りたいと思うよ」
「そう、それが一番の楽しみでしょ。あの貸し切り風呂はそのためのお風呂よ。私はそう思う」
 気のせいか、茉莉が格別に色っぽく見える。


「朝焼け願掛けは何時から?」
「願掛けじゃないって言ったでしょ。刻々と移りゆく光、輝き。それを見ていると心が洗われた気分になるの」
「今朝始めて?」
「違う。最初に来た時。去年は殆ど曇っていたから駄目だった」


「混浴仕立てのこの風呂は避けてたんでしょ?」
「温泉宿に来て、狭い浴室に1人で入るなんて、最悪でしょ。私だってたっぷりの温泉湯で、伸び伸び入りたいわよ」
「ご尤もです」


「そりゃ、枯れすぎて刺激を受けても若芽すら伸びないお爺ちゃんでも、やっぱり裸を見られるのはきつい。だから、朝早く入ることにしたのよ」
「お年寄りは朝が早いでしょ? かち合わなかったの?」


「湯治で来ている人たちは、昼間やることがないから温泉に入っては寝ているんですって。ほら、外は雪深いし動けないでしょ」
「そうだね。下手に動き回り疲れて倒れてしまったら、雪に埋まり、雪解けになるまで発見されなかったりして」
「それはないでしょうけど。確かに無理したらまた仲間が減るかもね」
 須内と茉莉は声を出して笑う。


「とにかく、ここに来ると宵っ張りになるらしいの。昼間寝ているからでしょうね。夕食が済むと、カラオケ大会。運動には良いかもしれないけど。お婆ちゃんなんか湯から上がったら電動マッサージ器に座りっぱなし。長い時は1時間ぐらい陣取っている」
「そんなにマッサージしたら、骨がバラバラになるんじゃない?」
「須内さんって見掛けより面白いことを言うのね」


 茉莉は実に上手にタオルを操り、湯船の縁に座る。


 お婆ちゃん達の裸体は否応なしに見た。それに比べ、眩し過ぎる。須内は思わず視線を逸らしてしまった。
 男が見たい部分はちゃんと隠れているのだから、視線を合わせて話してもいい状態ではある。


 そんな須内を見て、
「奥さん一筋なんでしょ?」
 茉莉の母親も同じような事を言った。彼が余程クソ真面目な人間に映るのか?