大空ひろしのオリジナル小説

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湯煙閑談 8(最終)

 須内は旅館入り口付近のフロント辺りをうろうろしていた。もう一晩泊まる予定なので、暇を持て余している。
 旅館では雪国体験が出来るよう、雪沓やかんじき、厚手の防寒着などを用意している。
 何時でも外に出られると聞いたが、いいオヤジが一人で雪と戯れるなんて恥ずかしいし侘しい。
 狭いが、お菓子やお土産を並べてあるコーナーがある。その辺りを行ったり来たりしていると、茉莉とその母親が現れた。
 二人は今日帰ると聞いている。


「お母さん、未だ時間がある。ここで少し時間を潰そうよ」
 茉莉が母親に言う。
 母親はどの位時間があるかと聞いて、
「それだけあるなら、私はもう一度温泉に入ってくる」
「よしなって。湯疲れするし湯冷めするかもよ」
「温泉よ。しかもたっぷりなお湯。そうそう湯冷めなんかしないよ」
 母親は茉莉を残して再び浴場へと行ってしまった。


 須内が長椅子で新聞や雑誌を読んでいると茉莉が対面に座る。
「今日帰るんだよね。ちょっとだけ寂しくなるな」
 須内は挨拶代わりに茉莉に話しかける。


「もう母ったら。貧乏性なのかしら、直ぐに少しでもって考えててしまうんだから」
「誰でも思うことですよ」
「ところで、大丈夫だったの?」
「えっ、何が?」
「顔色が悪かったし、フラフラになって歩いていたから」
 茉莉は、今朝須内が浴室を出て行く様子をしっかり見ていた。


「ああ、あれね。少しのぼせちゃったようだ」
「温泉って思ったよりも体が温まるからね。ところでさ、必ず家の店に来てね。ぼったくらないからさ」
「そりゃ安心して行けるね」
 須内は笑う。


「所でさ、最初に2階の浴室でママさんと少し話したんだけど、旦那さんは?」
 須内が茉莉に聞く。
「母は何て言ってたの?」
「上手く誤魔化された」
「そうか。まあ、誤魔化したくなるかもね。母は結婚してないから夫という人は居ないの。ヒモみたいな男は居たみたい」
「若しかして、その男の人の子、なの?」
「本当のことを言うと、母も私の実の父親、分かんないみたい。あの頃は男の出入りが激しかったから」
「茉莉さんは嫌な思いをして来たんじゃ無いの?」
「そりゃそうでしょ。世間体も悪いし、いじめの対象よ」
「苦労してるんだ」
「私ね、間違っても母のような職に就きたくない、絶対に就かないと心に誓ったのよ。だけど、社会に出て数年後には母と同じ事してた。笑っちゃうよね」
「『血は水よりも濃い』って言うけど、抗えずに流されちゃうんだよな」
 須内は、拙いことを聞いてしまったかなと思う。


「その通りね。私も未婚よ。母が店を出すから手伝ってって言われて。その時に居た職場で色々あってね。折角お店を出したんだから、母の店を潰したく無いのもあったし。いつの間にかこの年になっちゃった」
 須内は、これ以上プライバシーに深入りしたくない気持ちになり、話題を変えようとする。


「ところでさ、あのお爺ちゃん達にサービスしてあげたの?」
「まあね。旅館のタオルは小さいし、水分を吸えば薄ら透き通るし、チラチラ見てたから満足したんじゃ無い?」
「冗談だろうけど、温泉に入る楽しみの一つって言ってた。でも、今まで一度も一緒にならなかったんだってね。何時も上手く逃げられていたと残念がっていた」
「それじゃあ、最後の最後で念願叶ったのね。まあいいわ。二度と会うこと無いでしょうから」
「そういえば、この旅館にはもう来ないって言ってたね」
「私たちだけで無く、あのお爺ちゃんお婆ちゃん達も今年が最後の湯治旅行だって。もう年で体力が無くなったとか」
「そうなんだ」
「須内さんは、来年も計画しているの?」
「いや、俺も今回一回ポッキリ。みんな来ないなら、旅館は大変だな」
「旅館の事など心配する必要ないわよ。完全休業するか以前の様な営業するか、自分たちで考えるでしょ」
「ハハハ。違いない」
 雑談を続けていると暫くしてママさんが現れた。母娘2人は旅館を後にする。 見送る須山は、何だか力が抜けた感じになる。