大空ひろしのオリジナル小説

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完璧は必要か?

例えば野菜。
昔の野菜は同じ種類でも形はマチマチだった。
大根なんか二股なんか普通にあったし、中にはねじれ三股何ていうのも珍しくなかった。


キュウリの背筋曲がりは当然だったし、上ぶくれ、下ぶくれも結構あった。
ナスも濃い紫の皮で一面を覆っている物だけでなく、部分的に、白くあばたのような皮の物も出回っていた。


今はどうだろう。
大根もキュウリも曲がっている物や変形の物は店に並んでいない。
ナスも表面がきれいなものばかり。


美しい物、整った物を好むのが人間。理由は分からないが。
その対局にあるのが「わびさび」なのかも知れない?


形の整っていない物にも十分使い道がある。
曲がったキュウリも切り方次第でどうにでも演出できる。ただ、技術がいるし面倒ではある。
しかし、漬物にするには何一つ困らない。漬物として食すときには包丁を入れる。
単に切ると動作が入るので、元の形には拘らない。
たくわんの尻尾を囓りながら飯を食べたのは、もう昔の話になってしまった。


かように、昔は野菜にしても何にしても、得られた食材を使い切っていた。中国のように食べ残す位が礼儀みたいな無駄な行為をしなかった日本人。


昨今、綺麗に食べきるのは恥とか見苦しいとか見る若い女性が居るようだが、自分に言わせれば言語道断。
無駄になるほど出さない、食べ残さない。これが日本人の誇るべき礼儀のような気がする。
皆さんはどの様なお考えでしょうか?


能力が無いから、活用すべき、利用すべき方法が分からない、必要な分量が分からない。
だから無駄にする。立派な無能人間ではないか。


無駄にならないように加工したり販売する。最近そんな商売もいくつかある、
例えば割れせんべい袋詰めなど。
魚貝類や肉類の劣化や不揃いな物を加工して売る場合もある。が、一様に塩辛い。味が濃すぎて自分は嫌いだ。素材の味を感じられないなんて食べた気がしない。


少し違うが、自分はサバ缶を食べる。昔と違って丸切りのサバ身が小ぶりな気がする。
かなり小さな、子供のサバを使っているのか?
網に入ったのであれば、捨てるより増しだが、資源保存を思うと考えてしまう。


人も加工する。必要に迫られてなら納得。
単に綺麗だ可愛いと言われたいが為に加工するのなら残念。
最も個人の自由なので加工作品に文句を言うべきではないが、自分はスルーしたい。


最近その様な人が増え、特に隣国人の写真などを目にするようになり、ナチュラルかそうではないか、それとも化粧なのかの違いが多少分かるようになってしまった。
でも、プチ整形は分からない場合が多いかも。
余計な能力なのだが・・・。写真や画像の見過ぎかな?



【大空ひろし】ふわりふわり/BGM