大空ひろしのオリジナル小説

オリジナル小説や音楽を

嘆き

久しぶりに知人宅へ。
数十年来の知り合いで、奥さんとも親しくさせて貰っている。
あー、不倫関係ではないので誤解は無用。


お互いに年配者。若い時と話の内容が違ってくるのは自然なこと。
今はよそ様と同じく、病気に関する話題が多くなる。
でも昨夜は少し違った。
IT関係の話題で盛り上がる。否、怒り渦巻く。


勿論ご想像通り、IT技術内容の話題では無い。
カードとかスマホ決済とか、現金を利用しないシステム使用に閉口した話題。


ITを利用したシステムは便利だと言うが、我々が懸命に生きて来た時代にはそのシステムなんて無いに等しかった。
お金の出し入れだって、銀行の窓口での扱い。ハンコが必要。
特に底辺を這い回っていた我々は、手形だの小切手なども扱ったことが無い世代。


今や様々なカードやスマホを端末に翳せば総てが完了する時代。
半世紀弱で大きく変貌。とてもついて行けないと嘆くのは当然。


若い人達に利用方法なり手続きなりをして貰っても、気持ち的には「これで大丈夫か?」と
何時も不安に襲われる。
それでも良い。覚えていられれば。少し間を置くと忘れている。


更に年寄りをないがしろにする、キャッシュレス支払いの店まで現れるだろうという横暴さ。
「そんな店など二度と行かないよ」
そう言って強がる。
現金が使えない世の中になったら、便利さと不便さが交錯し、世の中混乱するかも知れない。


日本は災害の多い国、一度電気が止まれば、不便さが強く表れる。
中国など、大量の偽金が流通する国ではキャッシュレス化は致し方ないシステム。
その中国の前首相が、大洪水視察時の買い物で、札で支払いする映像が流れた。


くだんの知人、スマホが壊れたらどうする? 盗まれたら? 通信出来なくなったら?
とネガティブな状況を掲げる。
それもそうだが、詐欺がもっとも怖いと。


トラブルに対しては、殆どが対応してくれるが、その手続きが複雑で面倒だし時間が掛かると。更に、言っている事を理解するに一苦労だと。


昔はバイクに乗るにもヘルメット不要だった。今では自転車に乗るのにもヘルメットしろと強制してくる。様々な分野で規制を掛けてくる。
それでいて、安全安心の社会が構築されたかと言えば、その反対で犯罪も増え、幸福度も下がる一方。
便利になった分、隙が増え、広がったからだろう。隙は犯罪であり事故でもある。


勿論乗り物関係だけでは無い。便利になったが、自由が減った。
やたら規制を掛けてくる分、自由が減っている。


物心ついた頃から既にそのようなシステムの中で生きて来た若者とは違う年配者。
年寄りが最新の機械操作に慣れるのは、時間も掛かるし忘れるのも早い。
後、2~30年、現金で十分に通用する社会を保って欲しい。
そうすれば、機械やシステム音痴の老人達は大方消えている。

プチ感動

某部屋の掃除に。
久しぶりの実働。10分もしたら仕事したくなくなり、帰りたくなった。
自分の仕事は終わってナンボ。つまり、終了しなければお金に成らない。
重い体にむち打ち、仕事以外の事を頭に浮かべ何とか完了させた。


そうなんです。自分は仕事中に様々なことを考えるんです。
仕事は考えなくても、手足が勝手に動いてくれる。


一番頭に浮かぶのは、小説のストーリー内容。
ご存じの通り今は物語をお休み中。どんなストーリーを描けば良いか位しか考えない。
若い時なら、女性の事を考えていたと思うが、正直言って今はそんな元気が無い。


最近は、メディアの報道に流され、政治やゴシップ関係が頭に浮かぶ。
そんなの、幾ら考えても殆ど意味が無いと思うでしょ。
でも自分は、若しかしたら物語に利用できるのではと結構真剣に考える。


特に、何とかサスペンスとか事件物のストーリーをもっと書いてみたいと思っているので。
一応、「ホラ探偵のらりくらり日記」シリーズで事件物を書いている。
代表作として自分が押すのは「紫陽花の庭」


参考までに出版社に送って反応を見させて貰ったが、悪くない書評だった。
「売らんかな」の出版社というのを差し引いても。


小説に似た物語を書き始めた頃、やはり出版社に応募した。
その時は言葉こそ巧みに装っていたが、内容は出版に値しない文章、内容、というのが
見え見えな評価だった。
恐らく、全文読まれずにシュレッダーに放り込まれたのでしょう。
それから比べればかなり増しに成った感じだ。


また話が脱線したので戻ります。
その某空き部屋の掃除をしていた時、耳にしたのが我がオリジナル曲。
恐らく、YouTubeにアップしてある私の曲を聴いてくれていたのだろう。


もう、感動です。見ず知らずの他人が自分の曲を聴いてくれている。
プロなら他人に聴いて貰って当たり前。でも、自分は素人。
何度でも言うが、音楽の基礎もない楽器も弾けないズブの素人。
ホント、嬉しかったですね。


これならどうにかなるかもと、最初にYouTubeにアップした曲は、実のところネットを通して聴くのが恥ずかしいし確認の為に聴くのも怖かった。
自分の作品なのにYouTubeで聴くの勇気が暫く無かった。
今では神経が図太くなったのか、確認の為に必ず即再生するが。


ここで不思議なのが、自分ではこれで良いかなとネットにアップするのだが、その曲を再生してみると、結構良くない所や不満な部分が見つかる。何故なのだろう?
恐らく、作曲している時に繰り返し何度も聞き直しているので、脳がいい加減に白戸ばかりにOKサインを出す殻かも知れない。
時間を置いて環境を変え聴くと、脳がリセットされ、色々細かい部分にも気が付く?


時が流れ、今回初めて他地域で我が曲を耳にし、感動したその気持ち、分かって頂けると嬉しい。
内容がPRの様になってしまったが、継続の大切さを、思わぬ喜びに出くわして更に強くした次第です。
「継続は力」は格言でもあります。



【大空ひろし】霞の春 /feat.さとうささら
各音楽ストアーで楽曲配信中

便騒動

「踏みまくって地獄に」エスカレーターに大便が点々と JR大宮駅の東西連絡通路で。
態(わざ)とか?それとも体の不調により、なのか?
踏んでしまったら、犬の糞どころの悲惨さではないよね。


掃除屋の自分も経験済み。
といっても、ビルの定期清掃を依頼していたパートさんの話。


各階移動の為にパートさんがエレベーターに乗る。
既に乗っていた老婦人と付き添いか家族の女性2人。


何か臭いが。どうみても便の臭い、が漂い始めた。
老女と女性のペアがエレベーターを降りる。
パートさんがふと、老女が立っていた床を見ると、何と大便が。


老女はスカート姿。でも、昔の人なので所謂腰巻きだった可能性が。
大便がストレートに落ちた形で残っていた。
パートさん、泣き泣き余計な仕事をさせられたと訴えて言う。
それも事細かに状況を説明しながら。


同じく今度は私。
顧客から電話が入る。
定期清掃担当ビルの踊り場に大便。至急始末してくれと。
急いで駆けつけると、確かにこんもりと。しかも表面が乾いて膜を張ったらしく、臭いはきつくない。
そこで、ゴム手にトイレットペーバ、消毒薬、レジ袋を何枚も持って処置。
ゴム手袋をし、何枚もレジ袋を重ね、固まりをつかみ取る。
すると、表面を覆っていた膜が破れ、一気に凄まじい臭いが。
いやはやとんだ災難。当然、特別手当など請求できない。


もう一つ、やはり別なビルで。今度は男性のパートさん。
オーナーから踊り場に大便がしてあるので掃除して欲しいと頼まれたと言う。
そのような仕事も、定期清掃をしている以上処置しなければならない。
詳しい状況を聞かなかったし、パートさんも話さず、大便を掃除したという報告を受けただけだった。
後に、そのオーナーさんから、「夜にしたみたい」等々詳しい説明をしてくれた。
女性は親切に状況を話してくれる。 私としては余り聞きたくないが。


笑えないよね。でも、笑いを堪えられなくなる。
酔っ払いの小用は様々な建物で時々ある。大概近くに公園トイレがあるのに、探そうとしないのかな?


小学生の頃、同級生が体調不良で早退。彼の歩いた廊下に大便がポツポツと落ちていた。
当時は余りに衝撃的出来事だったので、未だに記憶に残っている。

何でも入れれば良いとはならない

自分に取って、ホットコーヒーに砂糖は欠かせない。


コーヒー粉を息子が買ってくれたのでドリップ。
砂糖の代わりにシロップも有りだと思い、
果物の缶詰の残った甘汁をシロップ代わりに入れる。


とんでもない味に
甘さは少しだけ感じるが、酸っぱさの方が強い。
何の果物かと確認したいが、缶は捨てられていた。


妻に聞いたら、「何だったかな?」
恐らく梨だろうと。桃の味がしたが、実が小分けしてあったので違うと思う。


何れにしてもこの酸っぱさ。だが、不味くて飲めない、と迄では無い。
でも、自分みたいに缶詰の甘汁シロップ入れるのは止めた方がいいでしょう。


所で、そのコーヒーの粉。
スーパーの棚に並んでいる5~600円の品程度かと思っていたら、
何と一袋4000円だって(本当か?)。 贅沢すぎる!
息子はふるさと納税の返礼品を送ってくれたのだ。


確かに味はまろやかだが、金額を聞かなければ少し上等な品ぐらいにしか思えない。
若き頃は喫茶店でお客にコーヒーを淹れていたのに。
嗜好品故に、味なんて常に突き詰めていないと分からなくなる。



【大空ひろし】一人ぼっち/オリジナル曲
前回アップした作品です。
気に入らなかったので修正しました。


一度のアップで完璧を演出できない私。反省してます。
でも、懲りずにこれからも幾度も修正して行くでしょう。

花の季節

桜の季節が始まった。桜の種類によってはこれからが本番。
その桜を差し置いて先ずはチューリップを話題にしたい。


チューリップの色や形。近年は非常に種類が多くなってる。
同色が列を成して咲き誇る姿は、それなりに壮大。
でも、美しさの感動は薄い。何故なのか。見飽きたから?
果たしてそのような感想は自分だけなのだろうか?


球根を土に埋め、芽を出し、そして咲いたチューリップ。
手を掛けて育てたチューリップは、例え一本でも美しい。
なのに、チューリップ畑とかチューリップ公園とかには感動が湧いて来ない。
沢山のチューリップに囲まれていても。


桜はどうか? 一本の木でも目を楽しませてくれるが、多ければ多いほどその美しさが増す。
果たしてチューリップ畑と何が違うのか?
地上と樹上の違いだろうか? 否、そうではないと思う。


地上に咲き誇る菜の花畑。過去に田んぼを彩った一面のレンゲソウ。丘を埋め尽くす「ひたち海浜公園」のネモフィラなどもとても美しい。


どの位置に咲いていても美しさの差にはならない。
視界を埋める広さでも無ければ分量でも無い。


単一色の美しさはどうだろうか?
桜の淡いピンクが連なる光景も、頭上に覆い被さり咲く光景も良い。


だが、様々な色彩のチューリップ。大量であればあるほど飽食を感じてしまう。


では、同じように多くの色が咲き競うツツビの丘はどうなのか?
思わず写真を撮りたくなる美しい色彩。
紅葉と同じような感動だ。


花の分量の差なのか?
小花が寄り添いひしめき合って咲いている様(さま)が美しいのか?


そう考えると、チューリップの花は少しボリュームがあり過ぎるのかも知れない。


様々な思索を繰り広げているうちに、ある事に思い至った。
あれこれ考えているより、花々の美しさを素直に感動した方が心を幸福にしてくれる。


みなさ~ん! 殺風景さを感じていた眼に喜びを与えてくれる季節がやって来ました。
大いに楽しみましょう。



       





【大空ひろし】 八重のさくら/feat.さとうささら